シドニー生活

中年研究者のお話

ショック。

さっき帰宅して夜ご飯食べて今日のブログをのんびり書いていたら思い出したんだよね。

「印刷してくるの忘れた!」

って。

帰宅直前に、先日届いた査読依頼をアクセプトしました。

アクセプトしたので、もう気になっていた原稿の本文を見ることができるようになりました。とりあえずダウンロードして保存して印刷にまわしたのに、印刷をして持って帰ってくるのを忘れてしまいました。

やっぱり査読依頼がきたのは嬉しい。エディターの期待に答えたいしね。今日はパイソン頑張ったし、原稿が気になるからさらっと目を通すくらいいいよね?って思ったの。他にもやることいっぱいあるのにね、それらをそっちのけでとりあえず原稿が読みたくて読みたくて。結局、ブログを書きあげずに途中で切り上げて、いまパソコンで原稿を読みました。

アブストみて、レフェレンスみて、原稿のフレームをさ〜っとみて、もうこの時点で気になる点がありました。今日は印刷してこなかったので気になった箇所にペンを直接入れることができない。「いま気になった箇所を忘れちゃったらどうしよう」「あ〜、印刷忘れたから書き込むものがなくて二度手間だな」なんて思いながらも、私はワクワクしてイントロを読み始めました。

 

読んだ瞬間に違和感。

とりあえず、一段落目を読み終え、次の段落へ進む。

次の段落を読むと強い違和感を覚えた。

さらに次の段落を読むと強い強い違和感を覚えた。

まだイントロの途中なのに、もう気持ちが悪くて前に読み進めることが出来なくなった。

違和感の理由は、

「絶対にこの文章どこかで見たことある」

そんな気がしてやまないのです。

まだイントロの途中だけど読むのをやめて文章で検索をかけてみたところ、やっぱり見つけてしまいました。2018年にパブリッシュされた論文のイントロとほぼ同じ。あまりここで詳細はかけませんが、例えばイントロの二段落目、12行にわたりほぼ同じ文章が続きます。ほぼというのは、例えば、一語だけ(responsibleをimportantに)置き換えただけでそれ以外は同じ文章、形容詞や副詞以降を一部省略しただけでそれ以外は同じ文章、といった具合です。

今回、著者らは特定の論文を引用しているのは明らかなのです。しかし、著者らはその論文を引用してはいませんでした。そもそも、著者は自国の先行研究を一本も引用していません。私はこの分野の論文を読んで知っているので、この分野に先行研究がないわけがないのですが、不思議です。私がイントロを読む前にレファレンスにさっと目を通した時に感じた「なぜ著者は自国の先行研究を一本も引用していないの?」と思った違和感も、ここにつながってきます。

 

違和感を覚えた理由が特定できたのですが、まだ未熟な私にはショックでしかない。

私も英語を母国語としていないので、著者らのの気持ちはすごくすごくすごくよくわかります。綺麗な英語を見つけると「カッコイイなぁ」「美しいなぁ」って思うし、なんなら「これこれ!私が英語で書きたいことはこれなのよ!」って思うし。でも著者らがやったことはこの業界では絶対にやってはいけないことです。

Academic dishonesty,

Plagiarism,

と呼ばれています。

これを私がまさかこのタイミングで目にするとは思ってもみなかった。私が悪いことをしたわけではないのにちょっと衝撃がすごい。まだイントロの少し読んだだけなのに。

コメントの期限まで3週間あります。来週末のプレゼンが終わるまでは、この原稿は封印します。忙しいので、これにかまっている時間は私にはない。もう忘れる努力をします。

著者らがやった行為は周りまで不幸にしています。ズルしたっていづれはバレるのにね。たとえ今回バレなくても、いつかはバレると思います。

これ完全に貰い事故。私、何にも悪いことしてないのに、心がざわついて眠れない。はぁ。ため息しかでない。はぁ。なんでこんなにも色々なことが起こるのでしょうか。誠実さとガッツが取り柄の私には、衝撃すぎて受け入れるまで時間がかかりそうです。では。