シドニー生活

中年研究者のお話

大学へ復帰。バトンがきた!

大学復帰1日目。

10時からスーパーバイザーとおちゃすることになっていたので10時頃登校。約2時間も雑談(休暇や進路の話など)をしたのに、博論の査読結果に関するディスカッションは0。←これが本業なのに(笑)。

 

今朝の私、ポンコツぶりを発揮。まず始めに携帯を自宅に忘れたので取りに戻った。その結果待ち合わせに10分遅刻。そしてオフィスのカギを忘れたので、スペアキーを借りるはめに。なんでしょうか、休みボケなのか老いてきたのか、ポンコツすぎるわ。

 

今朝、大学の郵便局で働いているおじさんに「いまニュータウンにすんでるの?」って。どうやらおじさんの友人が私に似た人をニュータウンでよくみかけるらしい。4年も大学にいると大学の郵便局のおじさんとも世間話をする仲になります(笑)。ここを去る日が来たらおじちゃんと過ごす時間すら恋しくなりそうです。

 

スペアキーを使いオフィスへ入るとデスクの上にミトンが。

f:id:pskusg:20220405190459j:image

これは卒業生Rが始めた儀式。このミトンは卒業生から次に卒業予定の学生へつなぐ卒業バトンなのである。一説によると、Rが国際学会でタイを訪れた際にお土産として購入しデスクに飾っていた。卒業するときにいらないから、他の学生に渡したことがはじまりだとか。笑。伝統なんてそんなノリで始まったりする。

このバトンは昨日までKが持ってました。だけど昨日久しぶりに登校したKが私の学位が確定したことを聞きつけて、慌てて私の机においた。私がKを追い抜いて卒業することになり伝統が乱れた(笑)。

 

そんなKと今日は10カ月ぶりに対面で話をした。お互いの近況報告をし、学生らしい時間を過ごすことができた。感謝である。Kは私より年齢が少し上でパートタイムのPhDです。

Kは卒業後、今の仕事を続けると言っていた。Kは自営業なのでPhDに入学前も後も同じ仕事で同じポジションということになる。Kは博士課程入学当初は大学で勤務することにあこがれていたけれど、入学してしばらくすると研究作業が自分にとてもストレスであることに気づいたそうです(研究が向いていないと気付いたらしい)。特に、決められた期限の中で作業を進めていくという行為がプレッシャーに感じるそうです。

 

大半の人がKの決断を聞くと「じゃあPhDいらないやん、やめたら?」って思うかもしれない。でも私はそうは思わないし、むしろKの決断を尊重している。博士課程に入学してもいないのにあれやこれやと理由を付けて行動にうつさないよりは、入学して頑張った結果見えてくることはたくさんある。だから、結論はなんでもいいのだ。

 

入学する前に日本でよく言われたのは「留学したらどうなるの?」「留学した後は何するの?」「PhDとってどうするの?」って言葉。私はKと同じで「PhDを取得したから○○になれる」って保証がないのを承知で博士課程に進学したし、博士課程入学前に卒業後の進路がわかっている人なんていないと思っている。博士の取得は自分には必要なステップだと思えたから選んだだけで、PhDを取得したからと言って研究者にならなければいけないとも思っていない。博士課程中の様々な出会いを通じて自分の視野が広がったことは間違いないし、インプットアウトプットのバランスとりながら大人らしい学び方をここで満喫できただけでも幸せ。だから卒業後どの道を選んでもそれはそれだと思えるのです。それに卒業して数年したらまた違う道を選んでいるかもしえない。

 

羽生名人だって言ってる。

何かに挑戦したら確実に報われるのであれば、誰でも必ず挑戦するだろう。
報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続しているのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている。

この名言は、私が博士課程入学後めちゃくちゃ疲弊していた時に友人が教えてくれた言葉(笑)。目の前のことに一生懸命に取り組むのが私のスタイルです。なるべく経験を大切にしながら、時間を楽しむ努力をこれからも続けたいです!

 

あっ、ちなみにKだけではなく、Lちゃんも博士課程に入っていかに自分が研究に向いていないか気づいたそうです笑。その代わりにLちゃんはティーチングが大好きだと気づいたのだ。大人が社会人経験を経てたどり着く博士課程での学びって本当に人それぞれだよね。

 

さて、私は何者なのか。何者になるのか。人生迷子のままには違いないわ!

では。