シドニー生活

中年研究者のお話

断った

木曜日に、新しい仕事が決まりました。

(まだ口約束の段階ですが...)

仕事の内容は自分がやってみたかったことで、オフィスビルも美しく、推薦してくれた友人だけでなく、他にも2人の知人が働いています。

知人2人(もちろんローカル)とは昨年の10月に国際学会で出会い、そのうちの1人は学校の忘年会にも小さな息子君連れて参加していたので、コミュニケーションはとれている。面接の日には偶然エレベーターホールで会ったため、挨拶も交わせた。ここでの仕事を通じて、アウェー感を感じることは少ないと思います(そう信じたい)。

しかし、問題は私のメンタルと能力。

新しい職場に就職すると、現在の仕事で感じているプレッシャーよりもはるかに大きなプレッシャーが待っている。社会人として働き始めてから、既に数回メンタルやられてる。私はこの新しい環境で周囲からうけるプレッシャーに耐えられるのか......

こうご期待

 

 

金曜日、オフィスで最初に行った仕事は、VISAアプリケーション(Subclass485)の提出。2〜3ヶ月以内にVISAが2026年から2028年まで延長される予定。

金曜日の夜は18時からヨーロッパのワーキンググループの会議(ハナキンなのに......)。先月提出した資料に追加する項目ができたため、2週間以内に再レビューして提出する必要がでてきた~

幸い作業量は大きく、2〜3時間あれば完了するはず?本当は仕事を減らしたいので、ワーキンググループではもう何も仕事したくない。抜けたくて仕方がないのです。はぁ。

夜の会議に渋々参加していると、雑誌の担当者から返信が届きました。今週の水曜日に知り合いの先生が私の連載を読んで、とある雑誌への推薦をしてくれたのです。

担当者のメールを読んで驚き......

記事の執筆は歓迎されていますが、現在日本で話題になっている内容について書いてほしいとのこと。オーストラリアの若者のOTC薬過剰摂取への対応、オーストラリアのOTC薬のインターネット販売状況、オーストラリアの規制、遠隔診療から調剤薬入手までのプロセスに関する記事など。

 

結果とからいうと、

断った。

断ってしまった......

このトピックに関する記事を書く重要性は理解できますが、調査と執筆には相当な時間と労力が必要で.......、仕事が溢れている私のこの状況でこれは不可能(これは政府依頼の調査案件のレベル)。

私は仕事を断ることがほとんどありません。与えられた仕事は対価に関係なく受け入れます(その結果、自分が損をすることが多いです)。一度断ると、二度と依頼が来ないかもしれないという不安があります(これは一種の強迫観念です)。だから私を指名してくれた人がいたら迷わず「イエス」。

「ノー」と言う時もあります。どれだけ魅力的な案件でも、それが既に抱えている仕事を裏切るようなものであれば受けません。昭和生まれの私は、恩を仇で返すようなことは避けたい(私のせいで誰かが損をすることが極端に嫌い)。社会人になってからの様々な経験を経てできたのが、この働き方なので、変えようにも変えられない。

だけどこの一件で自分のスタイルの変化を感じた泣。

 

通常なら100%受けるような案件でも、メールから1時間後には断りの返信(←きっぱり)。この一歩は、間違いなく私の今後の働き方に大きな影響を与えるでしょう。

 

推薦してくれた先生には申し訳ない気持ちでいっぱいです。後悔の嵐の中、帰宅。

後悔するのは分かっていましたが断るしかなかった。これからこのような感情や状況には慣れていく必要があるとすら感じる。日本にいつか帰る可能性も考えると、日本の仕事を断るのは良くないと分かっているのに断ったあげく、これからも断る前提でこの感情に慣れようとしている。複雑な乙女心よ。

実のところ私が「ノー」と言える人間になる前兆は昨年からありました。
昨年3月、大学時代の友人から学会誌への執筆依頼があって、非常に悩んだ末に断りました。理由は忙しいからというだけで。

その時、元指導教官のプロジェクトのデータコレクションが始まるかどうかの時期で、4クラスターが同時開始予定がバラバラにスタート。残りの1クラスターが研究参加を辞退するという状況。このタイミングで現プロジェクトの契約が始まっており、二つのフルタイムの仕事をこなしていました。加えて、新しい執筆依頼が届き、それを承諾したばかり。

友人の期待を大きく裏切ることになるのを承知で断った。この時、二度と友人からは仕事の誘いが来ないだろうと覚悟した。この仕事を断った後2ヶ月間(原稿の締め切りが2か月後だった)、相手に迷惑をかけたのではと申し訳ない気持ちが頭から離れなかった。何度も後悔した。

今回は、友人どころかより重要な人物からの紹介を断ったのよ。過去に後悔した経験があれば引き受けた方が良いと思うかもしれないが、私は簡単に仕事を断ることができるようになっていた!(自分でも驚いている)

今回断った理由の一つに、日本特有の問題ある文化に嫌気がさしたことがあるかもしれない。

私が依頼を受ける際、通常は「○○について」と言われるだけで、それ以外の情報は後だし。これが私の業界の文化。

謝礼の有無を事前に知らされていればめちゃくちゃラッキー。謝礼の話は仕事依頼時にするのはタブー。お金がないとひきうけないのですか?と言う話なんです。きれいごとの世界としか言いようがない。

社会の常識に従えば、

テーマ、文字数、締め切り、原稿料を最初に提示し、相手はそれを基にスケジュールを考慮して 返事する。しかし、私の周りでは執筆・講演依頼が名誉であるかのように扱われ、ボランティアに近いものと見なされ、仕事量と対価が一致することは少ない。

基本断らないので、透明性を保ってくれればいいだけの話なんだけど、これが難しい。忙しい中で時間を見つけて一生懸命書いても、報酬がもらえるかどうかわからない、報酬がもらえるけといくらかもわからない、そんな状況で仕事をするのは結構ストレスがたまるものです。

だけど最終的には報酬の有無に関係なく出版されるとめちゃくちゃ嬉しくて、ストレスは吹き飛びます(←40過ぎてもやりがい搾取されている私って一体?)。そしてオーストラリアでもやりがい搾取されて疲弊している泣。

 

これだけ忙しくしてると、くるもの拒まずの私のルールもそれなりに変化するということがわかった。

え?一体なにがいいたいのか?自分でもわからない。断っておきながらとてもへこんでいる受けるだけのキャパも能力もないのにね)。

今年明治神宮へ初詣にいったときのやつ↓

f:id:pskusg:20240210185841j:image

辛抱と努力はあとどれくらい必要なのでしょうか。人とは違う景色を見るためには辛抱と努力以外にも行動力や環境を変える勇気だっているんです。疲れる事しかないよねー。どうしよ。

と、仕事決まったのに、なぜかうつ気味で自宅待機の土曜日でした。

f:id:pskusg:20240210190227j:image

 

では。