シドニー生活

中年研究者のお話

辞めてみた

私はまだ生きてます。

まだシドニーで頑張って暮らしてます。

 

 

突然ですが、

わたし、

仕事を辞めました!

私が辞めたのは元指導教官(博士課程の指導教官)のプロジェクト1。それ以外のお仕事は継続しています。そうです。私はよりにもって元指導教官がPIを務める2.4Mドル(研究助成金約2.4億円)のビックプロジェクトを辞めたのだ。

私が博士課程に入学したのは2018年。かれこれ元指導教官との付き合いも今年で6年目に突入。自分で言うのも変だけど、私は元指導教官から絶大な信頼を得ていた。元指導教官もかなり驚いたことでしょう。今まで私が元指導教官に『NO』と言ったことはなかったから。

 

辞めた一番の理由は、

不当な扱いを受けたから。

 

私は、No payment、No authorship、No recognition as a project memberの状況で15か月プロジェクトで働いてきた。そう、私のベネフィット0なのに、私は働き続けた。あえていうなら5ヶ月弱はお給料あったのでベネフィットはあった。

 

私が辞職を宣言したのは7月19日。この日、私はメンタルの限界をむかえた。『私はこれ以上unfair work を続けることができません。大学のポリシーによると、プロジェクト1における私の扱いは許容できるものではない。仕事を依頼する前にこの状況を改善してください。』と伝えた。そしてこの日の翌日から今日まで在宅ワークをしている。そして2日前まで、何一つこの件に関して話し合いは行われなかった。

 

何がすごいかというと、

No payment、No authorship、No recognition as a project memberなので辞職の手続き不要。実質辞職宣言しただけってことになる。

私もバカじゃないので、何度も元指導教官とプロジェクトについて議論してきた。残念だけどunfair workが改善されることはなかった。流石の頑張り屋さんの私にもそりゃー限界くるわけさ。

 

膨大な時間と労力を奪われ続けた。

責任感だけで頑張ってきた私は偉い?それともおバカ?

 

オーストラリアではボランティア活動は強く禁止されている。私の場合はオーサーシップがないのに無給で働かせたことがまずい。しかも私の仕事はPMと元指導教官の中で行われており、表にはでない。

オーサーシップの点で言うと、給料の有無に関係なくプロジェクトで多大な貢献をした場合はオーサーシップを与えるように大学のポリシーにも書かれている。

これだけ毎日PMをサポートしながら働いてきたのに、私は一度もインベスティゲーターミーテイングに参加したことがない。プロジェクトのメーリングリストにはPI(元指導教官)、PM、17人のCI、3人のAIがいて、私の名前はない。もちろんHPにも私の写真はない。会議内では私の名前が出るので認知されているかもしれないけれど、誰一人として私がNo payment、No authorship、No recognition as a project memberだと知らない。私はPMから依頼された仕事だけを善意でひたすらこなしてきた。例えばグラントのピリオドが1年延長されたことすら知らされず、雑談の中であるとき知ることになる。統計家が交代した時も雑談の中で知らされるという、、、なんてひどい扱い。

 

結論からいうと、

私はプロジェクトを去るが、payment、authorship、recognition as a project memberを全てもらえることになった。

 

実は私が辞職した後、PMも辞職した。

PMは20か月、3人分の仕事を一人でこなしてきた。さっき知ったけど、PMのお給料は私と同等もしくは低かった、、、

 

では。